フォアボールの考え方における僕とイチロー選手の違い

最近はソフトボールをしていないので、せめて本だけでも読んでみようかと図書館に行きました。

『至高の頭脳が自然と身につく イチロー哲学』児玉光雄 東邦出版

イチロー選手の精神性の高さにとても関心があったので読んでみることにしました。内容は、イチロー語録のようなもので、彼の発言に解釈を加えるというものです。一つ一つ、短くまとまっているので、とても読みやすいです。




一番、心に残ったのはフォアボールに関する言葉

要点を紹介しますと

「別にフォアボールが嫌なわけではない。…打ちにいって見送るのと、はじめから見送ろうと思って見送るのとではは、僕にとってまったく意味が違う。…」

というものです。

本著全体を通してのイチロー選手の考えは「ヒットを一本でも多く打ちたい(プロとして客に魅せて勝ちたい)」というものですから、「(狙って)フォアボール」というのは彼にとって「見苦しい」以外のなにものでもないわけですね。

僕は彼にとってはものすごく見苦しいプレーをします(笑)。だって、アマチュアだもの。というよりむしろ、僕の美学として「(フォアボールでもいいから)一回でも多く塁に出たい(華麗な走塁を数少ない観客の皆さまにお見せしたい)」というものがあるからです。

「ヒットとフォアボール」の差はあれ、根本的にはイチロー選手と同じ考えでプレーしていたのだなぁ、と半ばこじつけ的に満足した本でした☆







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