審判…グラウンドの唯一神(たくさん居るけど)その声は絶対であり唯一の真理である。
さてさて今日は審判について考えてみましょう。
ミスジャッジに関する考察
最近、ミスジャッジが問題となっています。一つのアウト如何、一つのプレー如何がチームの勝敗につながるのを多く見てきました。
勝利と敗北。そこにはどうしようもない差があります。金のかかっているプロ野球には個人的にはなんの感情も湧きませんが、名誉と青春をかけた高校野球、小中学生の野球には複雑な気分になります。(小中高生が判定に文句言わないのは本当にえらいと思う。彼らこそ、本当は文句を言ってもいい立場なのに…)
巷では、ミスジャッジはけしからん論が多く見受けられるのですが、僕は思うのです。そもそも、ミスジャッジがあるのか、という点です。誤解ないように言いますが、審判は人間ですから、もちろんミスがあります。これは確かです。リプレイを見たら明らかに…という場合がありますね。
ミスジャッジがあるのか。分かりやすく言えば、ミスジャッジがあるのになんでそのままプレーしているのか。もっと直球に言えば、ミスジャッジがあることを前提に僕たちはプレーしている(させられてる)ということです。
ミスジャッジを無くすのは簡単です。問題のプレーがあった時には試合を止めてリプレイを見た後、判定を決めたらよいのだから。あの大相撲でさえ行司さんの力よりリプレイの力が勝ってるのに、なんで野球はそうならないか?ここは文化論、経済論も入ってくるだろうから、僕がグダグダ述べるのは遠慮させていただきます(笑)
未然に防げることを知っている。その方法も知っている。なのにしない。野球界を取り仕切っている何者かの不作為は責められるに十分値する。だが、その何者かを動かしきれない、僕たちプレイヤー側にも責任があるのではないか。僕たちが一番、良いと思えるジャッジ方法を僕たちが決めるべきではないか。案外、そういうことができないことに、野球離れが進んでいる原因があるのではと邪推してしまう。
言い遅れましたが、僕は審判のジャッジは全て正しいと思っています(もちろんミスジャッジには不快な思いをしますが)悪いのは審判ではなく、その仕組みだと思っているからです。その仕組みを変えようと努力なくして審判にケチをつけるのはおかしい。ミスジャッジを受け入れてプレーすることに同意しているといえるでしょう。
僕のことはともかくとして、ミスジャッジでくやしい思いをした方々、ぜひ、自分たちが納得できるジャッジ方法を声を大にして提言してもらいたい。ミスジャッジで野球が面白くなくなるのはこれからの野球界にとって大きな損失となると思うからです。
僕はストライクゾーンが究極に小さいアンパイア♪