WBC イチロー中心主義の疑問

仕事の途中、電気屋さんの前にやたら人だかりができていると思ったら、WBCの中継をしていた。10回表、2アウト2・3塁、バッターはイチロー。カウントはもう追いこまれている。野球好きにはこたえられない場面だ。僕が打席に立っているわけでもないのに、手のひらはグッショリ汗をかいている。

結果は皆さんご存じの通り、イチローが見事にセンター前に打ち返したわけで、2ちゃんねるのサーバーがおちるくらい日本中が熱狂したわけでして。そんな中、ヒーローの中のヒーローであるイチロー選手をなぜ批判しなくてはならないのか。

答えは、ひとつ。イチロー中心主義があまりに危険に感じたからです。




イチロー中心主義の弊害

まず、決勝に至るまでのことを考えてみましょう。ご存じの通り、イチローの打撃不振は大変なもので一部メディアでは「戦犯」とまでこき下ろされていたようです。
なぜ、その「戦犯」を起用し続けなければならなかったのか?そこに、原監督の起用する、しないの意思は少しもなかったと思う。疑問もなく起用したし、万が一疑問があったとしても使わざるを得なかったと思う。なぜかって??

イチローの出ないWBCをアナタ、見ますか???

原監督は、プロ野球選手なので、そこら辺を痛いほど知っている。だから起用に関して疑問にすらならなかっただろう。

実績、実力ともに世界一の選手の一人であるし、そのカリスマは、他の日本人選手には持ち得ないほど強烈さを持っている。野球に全然興味がないのに、イチローは好き、という人がいるように。

その強烈なカリスマゆえに、僕たちは過大な期待をイチロー選手にしているように思われる。イチローは、イチローで、それで当然、それが当然といわんばかりに結果を残し、期待にこたえ続けてくれている。僕は、それが悪循環をつくっているように感じてならない。

今回のWBCほど、イチローの選手としての劣化を感じたことはなかった。特に、セーフティバントの時の走塁と、外野からのバックホームは良くなかった。往年の、しなやかさと軽さに欠けた、力任せの印象が残った。

イチロー選手は35歳だ。普通の選手ならベテランの域だ。あまりに、実績が輝かしいので、そんな年とは思ってなかったが、残念ながら、イチロー選手のプレースタイルから考えるとこれからは劣化の一方だろう。

近い将来、カリスマは必ずいなくなる。世間のスピードに慣れた僕たちは、すぐに彼を失う痛手を忘れてしまうだろう。だが恐ろしいことは、当のプロ野球選手たちの方がイチローに依存しきっていることだ。

もちろん本人たちは反論するだろう。「俺たちはプロだ。なめるんじゃねぇ!」

本当にそう言い切れるのだろうか???

「お前が打たなかったから、負けたんだ。引退しろ!」

日本中から叩かれて、我慢できますか?

イチローをイチローたらしめているのは、その実績でも、実力でもなく、心の力だ。あの時のイチローには、「ここで打てなかったら、日本中から叩かれてもいい、引退してもいい」くらいの気迫があった。そんなことも考えないくらいの気迫があった。(もっとも本人はインタビューでおちゃらけているが)

今のプロ野球選手に彼ほどの気迫を感じさせる人はどれほどいるだろうか。

何度もいうが、近い将来、日本はカリスマを失う。そのとき精神的支柱を失った選手たちは、責任を持って日本の代表として戦えるだろうか。心配でならない。







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